T room
design by takuya yamada

九州・沖縄

宮良殿内(みやらどぅんち)

伝統的民家
石垣島 竣工1819年
ヒンプン・伝統的民家・瓦→茅葺→瓦・貫家

敷地面積:462坪
石垣島の中心地に残る琉球王国時代の邸宅。重要文化財。
明治末期まで八重山地域は大きく石垣/大浜/宮良 間切と与那国島の4つの区画が存在し、その中の宮良間切の長の家として1819年頃建てられた住宅。
 
琉球王国時代の民家や集落の設計手法には中国・台湾の影響が強くみられ、その影響と思われる風水の考え方を知ると建物の配置や平面構成が理解でき面白い。また、台風の通り道、夏は暑いという環境に対する工夫も沖縄ならではである。配置やつくりは伝統的民家ではほぼ共通して、道路に南面、ぐるりと敷地を石垣が囲み、南の一部に切れ目があり、そこが入口。入るとヒンプンと呼ばれる沖縄独特の魔除け、目隠しの中塀があり、敷地の中は東高西低、平面の配置は良い方向とされる南東に客間である1番座、その次に仏間の2番座、居間の3番座という部屋の並び。宮良殿内のように裕福な住宅だとそれぞれに裏座がつき、本土の寺院の住職が住んだ方丈に似たつくりになっている。南東には縁側、雨端(アマハジ)がある。
間切の長の家であり、良い材質のものを用いているためか200年近く経った今でもほとんどメンテナンスを必要としないそうである。屋久杉の一枚板の建具はご主人の自慢。柱はイヌマキという雨に強い材を用いている。
宮良殿内で特に印象深かったのは道路面よりも敷地が400ほど掘り下げられ、道路から建物を見るとぐっと沈んでいるように見えるところ。実際に風に強いのだろうという印象を受けると同時に急勾配の屋根、ボリュームのある建物による威圧感を抑えられていてよかった。
琉球王国時代は階級による厳格な住宅仕様の規格があり、1875年に瓦葺きから茅葺に改修させられ、その際に屋根の勾配を茅葺用に急勾配にしている。1900年に茅葺から瓦葺きに再改修の際はその屋根構造をそのまま使っているため、瓦葺きにしては急勾配になっているとのことだった。
また、サンゴ石灰岩をつかった日本最南端に残る枯山水庭園もみどころのひとつ。
 

ヒンプン・・門と母屋との間に設けられる「目隠し」「魔除け」の仕切り壁。道路からの視線は遮るが、南風は屋敷へ抜けていく。沖縄の伝統的民家に見られる構造物で中国語の屏風(ぴんふん)に由来。
雨端(アマハジ)・・おもに南面・東面の軒に差し出した庇(ひさし)、またはその下の空間部分をいう。雨端柱と呼ばれる、独立した柱で屋根を支える。